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「5月9日がEUの誕生日である理由」 写真上:1950年5月9日、仏外務省時計の間にてシューマン・プランを発表するロベール・シューマン仏外相

 毎年5月9日、EU構成国だけでなく、世界中で、ヨーロッパ・デイとしてEUの誕生日祝賀行事が行われる。1950年のこの日、フランスの外相、ロベール・シューマンがドルセー岸にある仏外務省時計の間で記者会見を行い、「シューマン・プラン」を発表したのである。ジャン・モネの発案になる同プランは、フランスとドイツ(当時西ドイツ)の石炭および鉄鋼の資源を共同の機関の下にプールすることを提案したが、真の狙いはドイツ・フランス間の戦争を物理的に不可能にすることであった。このプランから1952年にはECSC(欧州石炭鉄鋼共同体)が誕生し、1958年にはEEC(欧州経済共同体)とEAEC(欧州原子力共同体)へと発展した。

 当時ヨーロッパは、小さな国内市場に分割されて経済効率が悪く、国境による障壁を撤廃し、大市場で競争を原理とする規模の経済の論理が機能する「国境なきヨーロッパ」を構築することを目指した。1967年に三共同体の執行機関などが統合されEC(欧州共同体)となり、1968年には「関税同盟」(域内関税の撤廃・共通域外関税の設定)が完成した。残った非関税障壁を撤廃するには時間がかかったが、モノ、ヒト、カネ、サービスが自由に移動できる「域内市場」が完成したのは1992年末であった。翌93年11月には欧州連合条約が発効してEUに発展し、現在、人口約5億人、経済規模でも米国をも凌駕する豊かな市場を形成し、独自の通貨ユーロも発行するまでにいたった。

 

 このため、EUは経済共同体だと思っている人が多い。しかし、EUで最も成功したのは「不戦共同体」による平和構築と「拡大」である。ヨーロッパのみならず世界戦争の原因となってきたドイツ・フランス間の戦争を永久に不可能にするため、紛争を、軍事的手段ではなく、ルールに基づく決定と裁判所による司法手段で、解決することを定着させた。加盟国も、当初の6カ国から、5次の拡大を経て27カ国になり、冷戦時代「鉄のカーテン」の向こう側で敵対していた諸国を含めてヨーロッパ大に拡がったのである。

 共通外交安保政策も開始され、イラク戦争時のように内部で分裂すると、機能しないこともある。しかし、EUが、国際経済・政治・外交・安全保障のグローバル・プレヤーとして対外的な影響力を着実に高めているのは確かである。しかも、EUが定める規則や指令は、ヨーロッパ基準にとどまらず、グローバル基準になることが多い。とくに環境の分野では顕著である。

 しかし、「欧州憲法条約」が2005年フランスとオランダで拒否され、その改訂版である「リスボン条約」も2008年アイルランドによって拒否され、さらに世界金融・経済恐慌で「瞬時に燃え上がった」ヨーロッパも「憂鬱な時代」に入っているのも事実であるが、EUのすべての試みは1950年の5月9日に始まったのである。

 

文:田中俊郎
(慶應義塾大学法学部教授ジャン・モネ・チェア)

 
 

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